こんにちは。なつめゆです。
体調を崩しており、一週間更新できておりませんでしたよ…!
毎日思うこと感じることはあるのに、ブログに書き出す健康が、ない。
何かに向き合うってことは、自分の中に器がないと無理なんだなぁ、、痛感。
ブログにするってことは、自分のものにするってことだと思います。
ふわふわとした雲のようなものを、捕まえる。食す。
こうして公開すると、人の手にわたって広がっていくのにね。不思議。
1、闇は「外側」にあるもの
今日!書こう!と思ったのには理由があって、NHKのダークサイドミステリーっていう番組知ってますか?
今回のテーマはこちら
「鬼 人はなぜ鬼になるのか?〜日本人の闇・1500年物語〜」
鬼を知れば日本人がわかる!大江山の酒呑(てん)童子は悲運の子ども?鬼婆の包丁が実在?愛ゆえに鬼に変化した女性?人が恐れ敬い続けた強大な力鬼の正体迫る決定版
番組HPより
鬼でした。鬼。
妖怪紹介みたいな感じかな~と思って、あんまり好きな感じじゃないかしらと思って録画を軽い気持ちでスタートしたんですが、
「鬼」の正体とは、歴史の中の「鬼」が何を象徴としてきたかって話で、
もう、グッサリきた。すごくよかったので、記事にしちゃった。
さて、鬼が記録に出てくるのは古代の書。その次は平安時代の書物。
時代によって、鬼の描かれ方が違うそう。
古代の書では、天皇の葬式を、鬼の姿をしたものがただ見ていた、というもの。
それが、平安時代になると、
都で、夜中に百鬼夜行(鬼たちの大名行列みたいなもの)が目撃されたというものになります。
陰陽師安倍晴明が生きた時代。天災や飢饉など、人智で説明のつかない事象に対して、術で対抗することが国家事業とされていました。
平安時代の「鬼」は、人間に害を与える象徴として描かれていました。
平安時代の夜は深く、暗い。
そこに紛れてきた、よくわからないもの=不安を煽るものを、
「鬼」とした。
それから、当時の人々には「後ろめたい」ことも。
国家をまとめるための戦、と言ったら聞こえはいいですが、
中央に従わない者たちは追いやられ粛清され、天皇を中心とした朝廷は領土を広げていきます。
そういった、たくさんの「排除された側」である、身分の低いものや、自分たちに理解できない存在も、「鬼」としたようです。
もちろん、差別意識や自分たちの行為の正当化も、含めて。
ここですでに悲しいのですが、(私はいつも排除された側、負けた側が気になるので)
つまり、鬼は、恐れる存在。
しかし私たちの、外にあるものでした。
2、女性の抱える、鬼
女性が鬼になる、という話が出てくるのもこの平安時代です。
天災や疫病と同じように人の祈りや思いなど、目に見えないものや形のないもの、そういったものも同等に、価値を置いた時代でした。
橋姫伝説
あるところに仲睦まじい公家の夫婦がいました。
しかし、実は夫は外に愛人が。
それを知った妻が夫を問いただしても、はぐらかされるばかり。
妻は、激しい感情のあまり、自ら鬼になる道を選んだという。(丑の刻参りの後、21日間水に入り続けるという…)
念願かない鬼となった妻は、命を奪おうと夫の元へ向かうが、
すんでのところで神に阻まれて叶わず。
彼女は橋のたもとで、ひとり渦に消えたという。
以来、橋姫と呼ばれるようになったとか。
(丑の刻参りはこれ以降、呪術寄りに使われるようになる)
男性側に複数愛人がいたのは、この時代にはめずらしくありません。
でもその社会のシステムと、自分の心の間の矛盾についていけず、苦しんだ女性の姿がそこにある。
自分の願いを叶えるためには、鬼になるしかないって、悲惨すぎん?
「女性」なんです。男性が鬼化するんじゃなくて。
映画「陰陽師」でも、愛しい人を思うあまり、苦行の末、鬼に姿を変えたのは、女性。
エピソードをもう一つ。
人を殺して食べていたというオニババにまつわる伝説
鬼婆として恐れられたある女性の話。昔は普通の母親で、岩手という女性だった。
彼女は、”産まれる前の赤子の生き胆”を10数年、探していた。
あるとき、大きなお腹をした妊娠中の妻とその夫の、泊まりの世話をすることに。
夜、妻が産気づく。
夫が産婆さんを探してくると家を出た間に、妊婦の腹を裂いた岩手。
やっと赤子の肝を手に入れたと思った瞬間、
その若い妊婦の着物から、あるお守りが出てくる……。
岩手は、かつて、ある公家の館で、姫の乳母として働いていた。
ところがある時、その娘が、声が出なくなる難病に。
占い師によると、治療には赤子の生き胆が必要だと言われ、探してくるよう命令された岩手。
そんな恐ろしいこと…と思うも逆らえず、自分の娘も置いて、家を出たそう。
その時娘に残してきたお守りこそ、自分が腹を裂き、
目の前で絶命しかけている若い妊婦の持っていたもの、そのものだった。
それ以来、岩手は人を襲っては食らう、オニババに…
ひあああああ!なんつーーー話やねん!!と思ったよ!!!もう!!!
この話が事実かどうかよりも、
自分の思いより、上から命じられたことには逆らえなかった社会システムのおかげで、
一番大切なはずだった実の娘の命を、奪う結果になってしまった。
そしてこれが物語として残した人がいるということは、
当時、自分の思いよりも社会に従わざるを得なかった、女性の姿がそこにあったってこと。
鬼は、自分の内側にいる。
社会の常識やこうあるべきという姿、
つまり、平安時代なら、
- 男は愛人を外にたくさん作ってもそれが当然である
- 主従関係による命令は絶対
という「常識」。
本当は、
愛する人と共に育んでいきたい。
自分の家族に愛情を注ぎ、ただ共に生きたい。
そう、自分を貫くことができなかった女性の姿が浮かび上がってくる気がするのです。
その思いって、現代と、そう違わなくない?
3、見る者がいるから、それは鬼になる
男性の場合は、社会的に失脚→国家へ復讐のために怨霊化、とされることが多いのに対して、
女性の場合は、身近な人への無念→生きている状態で、自ら鬼になる苦行を選ぶ
って結構、壮絶じゃないですか。
弱い立場の女性が、強い鬼になることで、ある意味復讐を遂げた、みたいな意味合いもあるのですが、
鬼にならざるを得ないって、ほんと、どーゆうこと!!
他に救済の道はないのか。救済の道は。ジーザス
そこまでしなければならない女性の思いは!どこにいくんだよ!!怒
それから、夜の百鬼夜行も、それを見たものがいるから、鬼の行列、ということになった。ということ。つまり、夜中に鬼が通りを練り歩いてても、それを認識する観測者がいなければ、
それはいなかったこと、存在しないことと同じ。
- 社会のこうあるべき、と、自分の思いの違い。
- 観測者が、それをどうとらえるか?鬼なのか?
もうこのあたりに、なんか大切なこと、つまってるんじゃないのー。
今は時代も変わって、好きなように生きる女性は増えた。
でも、わたしたちが抱えてきた本質的な思いって、1000年も前から変わってないんじゃないの?
男性の作った社会システムの中で、自分の置かれた役割や立場に苦しみ、本当の願いを吐露する場もなく、隅に追いやられてきた女性。
私も長いこと、女なんか損だ。そう思って生きてきたから。
自分の中に鬼がいる、と思う瞬間は、たぶん誰にでもあって。
子育てしてると、子供につい声を荒げてしまい、自分のキャパの小ささに泣きたくなる。
で、朗報なのですが、もっと、自分で「決めて」いいらしいよ。(これは最近ファーストクラスでの学びの気づきになりますが、また別記事にしよう)
多分、あなたが思ってるより、もっと細かいところまで!
もっと女性が自分の思いを大切にして生きてほしい。と私も強く思う。
幸い、現代は鬼にならずとも、なんらか復讐方法はいろいろあるから大丈夫だよ!(うん、まあ、晒すとか!)
1000年前から女性として、大切にしたい思いは同じで、
なんらかそれを受け継いで現代に生きる私たちが、
もっと、幸せに生きなければ。とかいう使命感に、
今燃えているのである。よ。
この番組、ダークサイドミステリーHPはこちら!
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